走れダイエットランナー!

ポンコツ夫とポンコツ嫁はん。ランニングで健康維持しつつ映画やテレビ見ながら言いあらそうブログです。

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見えざる手 〜ウルトラランナーの友人が、網膜剥離と尿管ガンを克服できた理由は…〜

 

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昨日は、大阪ランナーの聖地である大阪城公園からほど近い、大阪府立成人病センターまで、ランニング友達のお見舞いに行ってきた。

 

この日の目的は、6日前に行われた癌手術のお見舞いだ。

 

僕も1ヶ月前に心臓の手術をしたので、とても他人事とは思えない。ランニング仲間でもあり、手術仲間でもある。

 

彼は実は、6月には網膜剥離の手術も行っていた。50歳を目前にして、大きな手術をたて続けにしていることになる。

 

彼は、フルマラソンなら3時間17分で走る。一般人なら、サブ4(フルマラソンを4時間を切って走ること)でじゅうぶん速い、と言われる。3時間17分はとてつもないランナーと言える。

 

2年前は山口県で行われている萩往還というウルトラマラニックで140kmの部を完踏していた。(この萩往還、完走ではなく完踏というらしい)

 

萩往還には250kmの部もある。去年はそれに挑戦し、とんでもない悪天候につき、途中棄権になった。

 

それ以来、彼は250kmの部を完踏するため、食事からトレーニングから、徹底してストイックに行った。

 

もともとフルマラソン3時間17分ランナーだ。一般人としてはすごいランナーだ。それをさらに研ぎ澄まし、研ぎ澄まし、来るべき本番の日に向け、万全の準備をしていた。

 

結論からいうと、彼は今年も完踏できなかった。

 

潜在能力は、完踏するには十分すぎるチカラを持っていた。肉体は研磨され、完踏への執念は他のランナーの比ではなかった。ともに練習していた仲間は皆、完踏している。つまり練習量にも不足はなかった。

 

今年も悪天候に見舞われたのだが、彼が完踏出来なかった理由はそんなことではない。

 

徹底的に準備して挑んだ萩往還。だが彼はその直前、まずは熱湯を足の甲にこぼしてヤケドを負ってしまう。

 

さらにレース会場に向かう道すがら、ギックリ腰になってしまう。

 

それでもスタートラインに立とうとすると、今度は原因不明の激しい嘔吐。

 

まるで、見えない手により、彼をレースから遠ざけようとするチカラが働いていたようだった、と本人は振り返る。

 

それでも、1年かけて準備した大会だ。完踏を信じ、スタートした。でもそんな体調では250kmを走り切るなんてできるはずがない。

 

48時間以内に250kmを走るレースだ。眠る時間などない。そんな過酷な環境下では、エネルギー補給はキモだ。途中で腹が減ったりしたら、ハンガーノックという低血糖に陥り、危険な状態になる。

 

ウルトラマラソンでは食べることは極めて重要なポイントなのだ。

 

131km地点で、食べ物を完全に受け付けなくなり、無念のリタイアとなった。

 

どれだけ悔しかったかは彼のみぞ知る、だ。レース直前に続いた理不尽な運命に、激しい憤りを感じていたに違いない。

 

それが、今年の5月のことだ。

 

その数週間後、彼はジョギング中に、視界の異変を感じる。片方の目が、見えにくくなったのだ。

 

眼科に行くと、網膜剥離の疑い。すぐに大きな病院に回される。そしてそこでの結果、即手術の判断。

 

あと10km走ったら、網膜が剥がれてしまいますよ!とドクターに言われた、とのこと。

 

あと10km…

 

250km走るつもりで、131kmで走れなくなったあの日。もし体調が良かったら、残り119kmも走破しただろう。

 

不慮のヤケド。ギックリ腰。原因不明の嘔吐。

 

「レースから遠ざける、見えない手」

 

彼はこの時、確信した。自分は、助けられたのだと。

 

網膜剥離の手術は成功した。

 

その数ヶ月後、今度は血尿がでたため泌尿器科で見てもらうと、尿管癌の疑い。

 

奥様は言う。萩往還のためのストイックな生活は、あまりに急激に体質を変え過ぎ、あまりにカラダ全体に負担をかけ過ぎた。その反動がきたのだ、と。

 

でも今回も、早期発見が幸いし、7時間にも及ぶ大手術ではあったが、臓器を摘出した今、もう抗ガン剤治療も不要になり、3ヶ月ごとの外来で様子を見る、というところまで回復した。

 

10月30日に行われる大阪マラソンに当選している彼は、せっかくなのでスタートラインに立ち、400メートルだけ走ろうと、こっそり計画している。

 

手術6日目にして、大声で笑い、歩き回る彼を見ながら、医学の進歩に驚嘆するとともに…

 

僕は人智を超えた「見えざる手」の存在を感じずにはいられないのであった。